大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

那覇地方裁判所 昭和57年(行ウ)6号 判決 1985年3月12日

沖縄県沖縄市字室川一丁目一番地の一

原告

高江洲義一

右訴訟代理人弁護士

安繁

同県同市字美里一二三五番地

被告

沖縄税務署長

加屋本豊市

右指定代理人

榎本恒男

大城正春

石川勝夫

宮里朝尊

安里国基

宮平進

玉城清光

与那嶺寛

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一次的請求)

1 被告が昭和五四年三月七日付で原告の昭和四八年分所得税についてした更正及び重加算税賦課決定の各処分を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

(二次的請求)

1 被告が昭和五四年三月七日付で原告の昭和四八年分所得税についてした更正及び重加算税賦課決定の各処分のうち総所得金額八四五万八二〇〇円を基礎として算出される税額を超える部分を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は被告に対し、昭和四九年三月六日、昭和四八年分所得税につき、総所得額を三九五万八二〇〇円、税額を四〇万九一〇〇円とする確定申告をした。

2  被告は、原告の右確定申告に対し、昭和五四年三月七日付で、総所得額を四八四万八二〇〇円、税額を二五三三万九九〇〇円とする更正処分をするとともに、七四七万九〇〇〇円の重加算税賦課決定処分をした(以下、右各処分を一括して「本件処分」という。)。

3  原告は、被告に対し同年三月二九日付で異議申立をしたが、同年九月一七日付で異議申立を棄却する旨の決定がなされたので、同年一〇月九日付で国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、昭和五七年三月三一日付で審査請求棄却の裁決がなされ、同裁決は同年四月二一日原告に到達した。

4  しかしながら、被告のした本件処分は、昭和四八年分所得税の確定申告期限である昭和四九年三月一五日の翌日から起算して三年以上経過した昭和五四年三月七日になされたものであり、国税通則法第七〇条第一項所定の更正期間を経過した後になされた違法な処分であるから、一次的に、その全部の取消しを求める。

5  仮に被告のした本件処分に更正期間徒過の違法がないとしても、原告の昭和四八年分の総所得金額は八四五万八二〇〇円しかなかったのであるから、本件処分は原告の総所得金額を過大に認定した違法があるので、二次的に、本件処分のうち右金額を基礎として算出される税額を超える部分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の各事実を認める。

2  同4の事実のうち、本件処分が、昭和四八年分所得税の確定申告期限(昭和四九年三月一五日)の翌日から起算して三年を経過した昭和五四年三月七日になされたことを認め、その余の主張を争う。

3  同5の主張を争う。

三  被告の主張

1  更正期間の遵守

原告には、後述のように、国税通則法第六八条第一項で規定する国税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺいした行為があり、かかる不正な行為がある場合には、同法第七〇条第二項(昭和五六年法律第五四 による改正前のもの)の規定に基づき、更正決定等の期間制限は法定申告期限の翌日から起算して五年とされている。従って、昭和四八年分所得税の確定申告期限の翌日である昭和四九年三月一六日から起算して五年以内である昭和五四年三月七日付でなされた本件処分が違法となるいわれはない。

2  本件訴訟の争点

原告の昭和四八年分の所得についての原告の主張額と被告が本件更正処分において認定した額を整理すると、次表のとおりである。

<省略>

右の表で明らかなとおり、本件訴訟の争点は雑所得の額であり、被告が認定した雑所得四四五〇万円のうち、綿久寝具株式会社(以下「綿久寝具」という。)から受け取った謝礼金四五〇万円については、原告もこれを認めて争わない。

3  雑所得四〇〇〇万円認定の根拠

(一) 原告は、合資会社リネンサプライ沖縄(以下「リネンサプライ沖縄」という。)の代表社員比嘉徳忠から同社の営業譲渡に関する交渉を一任され、綿久寝具と交渉の結果、昭和四八年二月八日、リネンサプライ沖縄と綿久寝具との間に、リネンサプライ沖縄の資産及び営業権を二億四〇〇〇万円で譲渡する旨の契約を締結させた。

(二) 右営業譲渡契約締結後に、リネンサプライ沖縄は、綿久寝具と通謀して、右資産及び営業権の譲渡価格を一億四〇〇〇万円とする、内容虚偽の昭和四八年二月二〇日付営業譲渡契約書を作成し、この契約書を営業譲渡の本契約書と偽って、実際の売買価格との差額一億円を計画的にリネンサプライ沖縄の収入金額から除外した。

(四) このようにして捻出した一億円を、原告が四〇〇〇万円、比嘉徳忠が四〇〇〇万円、リネンサプライ沖縄の自称専務比嘉篤信が二〇〇〇万円をそれぞれ受領する約定となっていた。

(五) 営業譲渡代金二億四〇〇〇万円のうち、綿久寝具が引き継ぎ、譲渡代金と相殺決済されたリネンサプライ沖縄の債務五五〇三万五〇〇〇円及び綿久寝具からリネンサプライ沖縄に別途支払われた一五九六万五〇〇〇円を除く一億六九〇〇万円は、次のとおり、綿久寝具からコザ信用金庫センター出張所の原告名義の普通預金口座(以下「原告名義の口座」という。)に振り込まれた。

(1) 昭和四八年二月八日 二四〇〇万円

(2) 同年二月二〇日 二〇〇〇万円

(3) 同年二月二二日 一〇〇〇万円

(4) 同年二月二八日 四八〇〇万円

(5) 同年三月三一日 六七〇〇万円

(六) 原告は、昭和四八年三月二日右原告名義の口座から五五〇〇万円の払戻しを受けたうえ、うち四〇〇〇万円を同信用金庫同出張所の原告の長男高江洲義朝名義の普通預金口座(以下「義朝名義の口座」という。)に振り込み、七〇〇万円を比嘉徳忠に、五〇〇万円を比嘉篤信に、それぞれコザ信用金庫振出しの自己宛小切手をもって支払い、残り三〇〇万円は現金で持ち出した。

(七) 比嘉徳忠及び比嘉篤信は、前記(三)で述べた約定の分配金をいずれも受領している。なお、リネンサプライ沖縄は、昭和五三年六月八日、同社の営業譲渡代金のうち一億円の収入除外を認めて、被告に対し、昭和四八年六月期にかかる法人税の修正申告をしているが、同申告書においては、「営業譲渡益計上もれ」として一億円を所得金額に加算したうえ、原告及び比嘉篤信に合計六〇〇〇万円を「支払手数料」として支払ったとして、所得金額から減算(支払済みとして社外流出処理)した旨記載している。

(八) 右の(一)ないし(七)の経緯からして、原告は、前記リネンサプライ沖縄の営業譲渡の仲介又は労務提供の対価として四〇〇〇万円を受領したものであり、義朝名義の口座に振り込んで受領した四〇〇〇万円がそれにあたることが明らかである。かかる仲介又は労務提供に対する謝礼金、報酬等の所得は税法上雑所得として取り扱われる(所得税法第三五条第一項)ので、原告が受領した右四〇〇〇万円を原告の昭和四八年分雑所得と認定してなされた本件更正処分は適法である。

4  重加算税の賦課決定処分

原告は、リネンサプライ沖縄の代理人として同社の営業譲渡契約の締結にかかわったところから、同社が虚偽の営業譲渡契約の締結にかかわったところから、同社が虚偽の営業譲渡契約書を作成して捻出した簿外の譲渡代金の配分に関与し、その簿外の譲渡代金の中から仲介手数料として四〇〇〇万円を受領しながら、右仲介手数料の支払いが同社の簿外取引であったことを奇貨として、確定申告にあたってこれを秘匿して申告しなかったものであり、これは、国税通則法第六八条第一項にいう、国税の課税標準又は税額等の計算の基礎となるべき事実の一部を隠ぺいし、その隠ぺいしたところに基づき納税申告書を提出した場合に該当する。

したがって、被告のした本件重加算税賦課決定処分は適法である。

四  被告の主張に対する認否及び原告の反論

1(一)  被告の主張1を争う。

(二)  同2の事実は認める。

(三)(1)  同3(一)の事実を認め、同(二)の事実は不知。同(三)の事実は否認する。

(2) 同3(四)の事実のうち、リネンサプライ沖縄の営業譲渡代金が二億四〇〇〇万円であること、同社の債務が五五〇三万五〇〇〇円であることを認め、その余の事実を否認する。

(3) 同3(五)の事実のうち、原告がコザ信用金庫センター出張所の原告名義の口座から五五〇〇万円の払戻しを受け、その内四〇三〇万円(四〇〇〇万円ではない。)を義朝名義の口座に振り込んだことを認め、その余の事実を否認する。

(4) 同3(七)の事実を否認し、同(八)は争う。

(四)  被告の主張4の事実を否認する。

2  原告が、コザ信用金庫センター出張所の原告名義の口座から払戻しを受けて義朝名義の口座に振り込んだ四〇三〇万円は、原告が昭和四七年七月頃と一二月頃にリネンサプライ沖縄に対して二回にわたって貸し付けた合計四〇三〇万円の弁済として受領したものである。

3  原告がリネンサプライ沖縄に四〇三〇万円を貸し付けるに至った経緯及び同社の営業譲渡の経緯等の事情は、次のとおりである。

(一) 原告は、アパートの経営と冷凍庫修理販売業を営んでいたが、かねてから面識のあった比嘉篤信及び同人から紹介を受けたリネンサプライ沖縄の代表社員比嘉徳忠から、昭和四七年六月初旬頃以降、経営危機に陥ったリネンサプライ沖縄の経営資金調達について協力を要請された。

(二) 原告は、リネンサプライ沖縄の営業状態や従業員の仕事振り等を見て、また、同社の敷地の所有者で、原告の友人である島袋全一とも相談した結果、原告の経営方針でアドバイスして運営させれば会社は立ち直って相当の利益を得ることができるという自信がついたので、同年七月頃、原告、比嘉徳忠及び比嘉篤信の三名で協議した結果、経営は原告の方針に従うこと、多額の支出については原告に相談すること、その他原告のアドバイスを尊重すること等の条件のもとに、原告が資金協力することになった。しかし、原告は同社の社員でもなく、単なる資金協力者の立場であり、会社の実権は社長である比品徳忠が掌握していた。

(三) 同年七月頃、比嘉徳忠の申入れにより、原告は、シーツ類の仕入れ資金としてリネンサプライ沖縄に六三〇万円を貸し付けた。右六三〇万円のうち六〇〇万円は原告が島袋全一から借り受け、これに手持ちの三〇万円を加えて、これを貸し付けた。更に同年一二月頃、比嘉徳忠からシーツの仕入れ代金及び洗濯機器の購入代金として三四〇〇万円の資金援助方の申し入れがあったので、原告は、右島袋全一と大城清太郎から一四〇〇万円ずつを借り受け、手持ちの六〇〇万円を加えて、合計三四〇〇万円を同社に貸し付けた。結局、同社に貸し付けた金額は、同年七月頃の前記六三〇万円と合わせて四〇三〇万円となった。

(四) 当時沖縄では、株式会社ホワイトリネンサービス(以下「ホワイトリネンサービス」という。)とリネンサプライ沖縄の二社が競争関係にあった。リネンサプライ沖縄のシェアは広く、仕事量も多かったが、ホテル業界の不景気が影響し、借金は益々増える一方で、経営は苦しくなった。これに対し、競争相手のホワイトリネンサービスは、本社が京都にあって、その背後には総合商社伊藤忠商事がついており、仕入値を安くし、資金量も豊富であったため、リネンサプライ沖縄が太刀討ちすることが困難な状況にあった。昭和四八年一月下旬頃になると、右の状況は著しくなり、同社の経営が行き詰りつつあったので、原告は、早目に同社を処分しないと注ぎ込んだ四〇〇〇万円余の回収も不可能になると考え、比嘉徳忠、比嘉篤信と同社の処分について内々話を進めた。

(五) 同年一月下旬頃、綿久寝具の社長村田清次とホワイトリネンサービスの社長安里牧夫から原告に対して、リネンサプライ沖縄を買い受けたい旨の申入れがあり、リネンサプライ沖縄内部でも協議した結果、原告としては注ぎ込んだ資金を回収したいと考え、また比嘉徳忠も負債をなくしたいとの意向であったため、会社を処分することを決め、相手方との交渉は原告に一任することとなった。

原告は、その後ホワイトリネンサービスと数回交渉をもち、その結果売買についてある程度話しがまとまったところで、同社の希望で佐賀県にある綿久寝具九州支店と売買価格の交渉をもつこととなり、原告が右九州支店まで赴いて交渉をまとめ、同年二月八日、代金二億四〇〇〇万円でリネンサプライ沖縄を営業譲渡する旨の契約を締結した。

(六) 原告が比嘉徳忠及び比嘉篤信に右交渉経過を報告した際、比嘉徳忠から「自分は負債が多いし、多くの債権者から差し押えられるということも考えられるから、譲渡代金は原告の預金口座に振り込んでくれ」との申入れがあったため、原告名義の口座を使用することにし、同時に、原告がリネンサプライ沖縄に貸し付けた四〇三〇万円は右口座に振り込まれる譲渡代金の中から弁済を受けることについて比嘉徳忠との間で合意が成立した。

(七) 原告は、昭和四八年三月二日、右合意に基づいて、コザ信用金庫センター出張所の原告名義の口座に振り込まれた譲渡代金の中から四〇三〇万円の払戻しを受け、これを前記貸付金の弁済金として受け取り、義朝名義の口座に入金した。

(八) 原告が比嘉徳忠とリネンサプライ沖縄の営業譲渡の交渉の報酬について相談した結果、同社長は、報酬(仲介手数料)として四〇〇〇万円を原告に支払うことを約束した。ところが、比嘉徳忠は、営業譲渡代金のほとんど全部を会社や自己の負債の支払いに充ててしまい、原告に対する仲介手数料の支払いができなかったので、同年三月二八日、原告とリネンサプライ沖縄との間で右仲介手数料債務を目的とする準消費貸借にあらため、比嘉徳忠個人が右債務を連帯保証する旨約して、その旨の借用金確証(甲第二号証)が作成された。

しかるに比嘉徳忠らが右債務を履行しなかったので、原告は、昭和五八年三月七日付の内容証明郵便をもって、比嘉徳忠に対する債権を放棄した。

4  以上のとおり、原告が昭和四八年三月二日にリネンサプライ沖縄から受領した四〇三〇万円は、貸付金の弁済として受領したものであり、被告の主張するような雑所得でない。また、仲介手数料四〇〇〇万円については、前記のとおり準消費貸借に切り替えたが、これについても原告は債権を放棄したので、将来においても所得たりえない。

したがって、被告が、右四〇三〇万円のうち四〇〇〇万円を雑所得と認定してなした本件処分は失当である。

五  原告の反論に対する被告の再反論

1  原告は、本件の四〇〇〇万円について、原告がリネンサプライ沖縄に貸し付けていた金員の返済として受領した旨主張するが、原告のリネンサプライ沖縄に対する金銭貸付けについては同社の帳簿に記載がなく、他にも右消費貸借の事実を証する資料は存しない。また、原告は、島袋全一及び大城清太郎から借り入れた金銭を同社に対する貸付けにあてた旨主張するけれども、右両名からの金銭借受けを裏付ける資料もない。

しかも、リネンサプライ沖縄の債務は、原告が他から借り受けて同社に融資した分を含めて、すべて原告名義の口座から直接小切手を振り出すなどして支払われているのであって、それ以外に債務があったとは考えられない。すなわち、同社の債務であれば小切手で支払われたはずであり、島袋全一及び大城清太郎に対する債務についてのみ、わざわざ義朝名義の口座に移した上でその債務の支払いをしたというのは、いかにも不自然であり、その必要性が全くないといわなければならない。

また、原告が義朝名義の口座に振り込んだ四〇〇〇万円の金額は、原告と比嘉徳忠との間で約定された分配金額と完全に一致するのに対し、島袋全一及び大城清太郎が貸し付けたとする金額の合計三四〇〇万円とは一致しない点も、債務の弁済のための受領とは認められない理由である。

さらに決定的な理由は、義朝名義の口座に振り込まれた四〇〇〇万円が、その後島袋全一及び大城清太郎に対して支払われた形跡がないということである。

以上のとおり、原告が島袋全一及び大城清太郎から金員を借り入れたこと、原告が右借入金をリネンサプライ沖縄に対して貸し付けたことを認めることができないから、本件の四〇〇〇万円が貸金の返済であるとする原告の主張は失当である。

2  原告は、分配金を受領していない証拠として借用金確証(甲第二号証)を提出し、比嘉徳忠が簿外の借入金を失念していたために原告が分配金を受領できなくなった旨主張する。

しかし、右借用金確証は昭和四八年三月二八日に作成されているが、その三日後の同月三一日に綿久寝具から原告名義の口座に六七〇〇万円の営業譲渡代金が振り込まれている。仮に借用金確証の記載のとおりに原告に真実受領すべき金員があったとすれば、リネンサプライ沖縄の営業譲渡代金の管理、払出し、分配等は原告みずからが行っており、比嘉徳忠は原告名義の口座に預入れされた右営業譲渡代金を勝手に払い戻すことができない状況だったのであるから、原告は、わざわざ借用金確証を差し入れさせるような迂遠な方法をとるまでもなく、右原告名義の口座から直接分配金を受領できたはずであるのに、それをしていない。

一方、借用金確証を差し入れた比嘉徳忠は、同年三月三一日に比嘉篤信に対して分配金の残金一五〇〇万円の支払いをしているが、このことも借用金確証の作成と矛盾することになる。すなわち、借用金確証を作成した同年三月二八日の時点でリネンサプライ沖縄の債務を支払った後に残る金員が当初予定した一億円ではなく六〇〇〇万円であることが判明していたとすれば、それに応じた配分(例えば、原告及び比嘉徳忠が各二五〇〇万円、比嘉篤信が一〇〇〇万円と配分)をやり直すことが可能であり、そうすることが現実的、かつ常識的であるにもかかわらず、それがなされていない。

以上によれば、借用金確証は、作成日、記載内容ともに矛盾に満ちており、到底信用できないものであるから、原告の主張を裏付ける証拠とはなり得ないものである。したがって、借用金確証は、後日税務争訟対策のために作成されたにすぎないものであることは明らかというべきである。

3  本件の四〇〇〇万円に関する原告の供述等が一貫しておらず、このことは分配金の受領を隠匿するためのものといえる。

すなわち、(イ)昭和五六年六月二三日の国税審判官の事情聴取の際には、「私が他から借りてきてリネンサプライ沖縄に貸していた金を返済してもらったことによるものであって、仲介手数料の受け入れではありません。」と供述し、(ロ)昭和五八年一一月一〇日に実施された那覇地方裁判所昭和五七年(行ウ)第一号事件の証人尋問では、当時原告名義の口座には約四〇〇〇万円の残高があったので、その自分の金と綿久寝具から振り込まれてくる営業譲渡代金とを区別するために、右四〇〇〇万円を義朝名義の口座に移したのであって、営業譲渡代金とは全く関係がない旨の証言をし、(ハ)更に、本件訴訟における本人尋問では、原告がアパートを売った金をリネンサプライ沖縄に貸し、その金を義朝名義の口座に振り込んで落した旨供述している。

以上のように、本件における最も重要な四〇〇〇万円の性質について原告の供述が一貫性を欠いているということは、原告の主張が事実と異なっている証左であり、分配金の受領を隠すためのものというべきである。

第三証拠

証拠関係は本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件処分及び行政不服審査の経由

請求原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがない。

二  本件処分の適法性

1  被告が本件更正処分において認定した原告の昭和四八年分所得税の総所得額のうち、事業所得の金額が一五〇万四〇〇〇円であること、不動産所得の金額が一九万二〇〇〇円であること、総合譲渡所得の金額が二二六万二二〇〇円であることは当事者間に争いがなく、被告が認定した雑所得四四五〇万円のうち綿久寝具から後記本件営業譲渡契約に関し謝礼金として受領した四五〇万円については、原告もこれを認めて、争っていない。そこで、被告が認定した雑所得のうち四〇〇〇万円の所得の有無について検討する。

2  原告が、リネンサプライ沖縄の代表社員比嘉徳忠から同社の営業譲渡に関する交渉を一任され、綿久寝具との間で交渉の結果、昭和四八年二月八日、リネンサプライ沖縄と綿久寝具との間で、リネンサプライ沖縄の資産及び営業権を二億四〇〇〇万円で綿久寝具に譲渡する旨の営業譲渡契約(以下「本件営業譲渡契約」という。)が締結されるに至ったことは、当事者間に争いがなく、原本の存在に争いがなく、証人比嘉徳忠の証言(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第七号証の二、附表を除いた部分については成立に争いがなく、附表の部分については弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第八号証、大蔵事務官作成部分については、その方式及び趣旨により公務員が義務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべきであり、比嘉徳忠作成部分については証人比嘉徳忠(第一回)、同山城健昭の各証言により真正に成立したものと認められる乙第九号証、成立に争いのない乙第一〇号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第二二号証、大蔵事務官作成部分の成立に争いがなく、その余の部分については証人山城健昭の証言により真正に成立したものと認められる乙第二四号証の一、証人比嘉徳忠の証言(第一回)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、リネンサプライ沖縄の営業譲渡時における負債額は、後記認定のように綿久寝具が引き継いだ五五〇三万五〇〇〇円を含めて、一億四〇〇〇万円であったところ、同社の資産及び営業権が右負債額を大幅に上まわる二億四〇〇〇万円で譲渡できたところから、本件営業譲渡契約締結後の同年二月中旬頃、右営業譲渡代金二億四〇〇〇万円からリネンサプライ沖縄の負債の返済に充てる一億四〇〇〇万円を差し引いた残りの一億円を、原告、比嘉徳忠が各四〇〇〇万円、比嘉篤信が二〇〇〇万円分配取得するとの合意が右三名間に成立したこと、そして、右三名が相謀り、右金員分配を秘匿するための税金対策として、綿久寝具の協力のもとに、譲渡代金額を一億四〇〇〇万円とする虚偽の同年二月二〇日付営業譲渡契約書(乙第七号証の二)を作成したことが認められる。

そして、前掲乙第七号証の二、第八ないし第一〇号証、第二二号証、原本の存在及び原告作成部分を除くその余の部分の成立に争いがなく、原告作成部分については原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第七号証の一、原本の存在及び成立に争いのない乙第一一号証の一、二、第一二号証の一ないし九、第一三号証の一ないし三、第一四号証の一ないし四、第一五号証の一ないし三、第一六号証の一ないし五、第一七、第一八号証の各一ないし三、第一九号証の一、二、第二〇号証の一ないし四、第二四号証の二、証人比嘉徳忠の証言(第一回)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件営業譲渡契約においては、営業譲渡代金二億四〇〇〇万円の決算方法について、(1)契約成立と同時に契約金として二四〇〇万円を支払い、(2)七八〇〇万円を同年二月二八日に、七八〇〇万円を同年三月二五日にいずれもリネンサプライ沖縄の預金口座に振り込み決済し、(3)残金六〇〇〇万円は、リネンサプライ沖縄のコザ信用金庫及び沖縄振興開発金融公庫に対する債務を引き継ぐ(免債的債務引受)ことで相殺するものとされていたこと、その後、綿久寝具が引き継ぐ債務額を沖縄振興開発金融公庫中部支店の一〇六九万五〇〇〇円とコザ信用金庫の四四三五万円の合計五五〇三万五〇〇〇円とすることが確定され(引継債務額が合計五五〇三万五〇〇〇円であったことは、当事者間に争いがない。)綿久寝具は、営業譲渡代金二億四〇〇〇万円から契約金二四〇〇万円、右引継債務額五五〇三万五〇〇〇円、及び別の方法で支払った一五九六万五〇〇〇円を差し引いた一億四五〇〇万円を、同年同月二〇日に二〇〇〇万円、同月二二日に一〇〇〇万円、同月二八日に四八〇〇万円、同年三月三一日に六七〇〇万円をいずれもコザ信用金庫センター出張所の原告名義の口座に振り込んで支払ったこと、コザ信用金庫センター出張所の原告名義の口座が営業譲渡代金の振込先として利用されたのは、リネンサプライ沖縄の口座あるいは比嘉徳忠の口座に振り込んだ場合、個人的にも多額の負債を抱えていた比嘉徳忠の債権者に対する支払いにあてられることを原告がおそれたためであり、原告は、綿久寝具から振り込まれた営業譲渡代金を管理し、比嘉徳忠の求めに応じ、みずから預金払戻しの手続をして、リネンサプライ沖縄の借入先への負債を支払うかたわら、自分が金融機関や友人等から借りて同社に融資していた分についても、同様にみずから預金の払戻手続をして、これを返済したこと、原告は、原告名義の口座に振り込まれた営業譲渡代金の中から、同年三月二日五五〇〇万円の払戻しを受け、そのうち三〇〇万円を現金で受け取るとともに、一二〇〇万円を支払資金としてコザ信用金庫から額面金額五〇〇万円と七〇〇万円の自己宛小切手(いわゆる預手)の振出しを受け、前者を比嘉篤信に、後者を比嘉徳忠にそれぞれ交付し(右各小切手は後日決済された)、残りの四〇〇〇万円を同出張所にある義朝名義の口座に振り込んだこと、右五〇〇〇万円は、別口の三〇万円とあわせて、同日義朝名義の口座に入金されたこと(原告が、原告名義の口座から右同日五五〇〇万円を払い戻し、そのうち四〇〇〇万円を義朝名義の口座に振り込んだことは、当事者間に争いがない。)しかして、リネンサプライ沖縄の営業譲渡時の負債一億四〇〇〇万円はその全額が営業譲渡代金の中から返済され、比嘉徳忠、比嘉篤信の両名も前記約定による分配金四〇〇〇万円及び二〇〇〇万円の支払いを受けたが、前記のように昭和四八年三月二日に原告名義の口座から義朝名義の口座に振替入金された四〇〇〇万円だけはリネンサプライ沖縄の負債返済と関係がないものであったこと、以上の事実が認められる。

以上の事実によれば、原告が昭和四八年三月二日にコザ信用金庫センター出張所の原告名義の口座から義朝名義の口座へ振替入金した四〇〇〇万円(以下「本件四〇〇〇万円」という。)は、原告がリネンサプライ沖縄の営業譲渡を斡旋仲介したことに対する報酬(仲介手数料)ないし謝礼金として支払われたものと認めるのが相当である。

3  原告は、本件四〇〇〇万円について、原告がリネンサプライ沖縄に対して、昭和四七年七月頃、島袋全一から借り受けた六〇〇万円に手持ちの三〇万円を加えた六三〇万円を融資し、更に同年一二月頃、島袋全一及び大城清太郎からそれぞれ一四〇〇万円を借りて、これに手持ちの六〇〇万円を加えた三四〇〇万円を融資していたので、右合計四〇三〇万円の貸付金の弁済として受領したものである旨主張し、前掲乙第一〇号証、証人島袋全一、同大城清太郎、同比嘉徳忠(第一、二回)の各証言及び原告本人尋問の結果中には右主張に副う供述があるが、いずれもにわかに措信できない。その理由の主なものを挙げると、次のとおりである。

(一)  前示のとおり、営業譲渡時におけるリネンサプライ沖縄の負債額は、綿久寝具が引き継いだ五五〇三万五〇〇〇円を含めて、一億四〇〇〇万円であったところ、その全額が営業譲渡代金として綿久寝具から支払われた金員(ただし、本件四〇〇〇万円並びに比嘉徳忠及び比嘉篤信に支払われた前記分配金六〇〇〇万円を除いたもの)によって支払われており、本件四〇〇〇万円は右負債返済と関係がないと認められる。この点について、証人比嘉徳忠の証言(第一回)中には、リネンサプライ沖縄には、右一億四〇〇〇万円のほかに、会社の帳簿に記載されていない債務があったとの供述があるけれど、仮に帳簿に記載されない負債のあったことが事実であるとしても、その負債額は営業譲渡にあたって当然把握され、その把握されたところに従って営業譲渡代金の額が決定された筈であり(右の一億四〇〇〇万円は、そのような簿外の債務をも含めた負債額とみることができる。)、営業譲渡の後になって簿外の負債が出てきたために原告に対する四〇〇〇万円の分配金が支払えなくなった旨の同証人の証言は、前掲乙第八、九号証に照らして、到底措信できない。

(二)  前掲乙第八号証、乙第一二号証の一ないし九、第一三号証の一ないし三、第一四号証の一ないし四、第一五号証の一ないし三、第一六号証の一ないし五、第一七、第一八号証の各一ないし三、第一九号証の一、二、第二〇号証の一ないし四によると、原告名義の口座に振り込まれた営業譲渡代金によるリネンサプライ沖縄の債務の支払いについては、比嘉徳忠が借り受けていた債務はもちろん、原告が金融機関や友人等から借り受けて同社に融資した分を含めて、すべて原告自身が払戻手続をしたうえ、右口座から払い戻された現金で、あるいは一旦別段預金に振り替えた後で、これを資金として振出しを受けたいわゆる預手によってなされたことが認められるのであって、特に島袋全一及び大城清太郎からの借入金についてのみ、原告名義口座から義朝名義の口座に振り替えたうえで支払わなければならない格別の理由は認められないばかりでなく、義朝名義の口座に振替入金された本件四〇〇〇万円が島袋全一及び大城清太郎に支払われたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、前掲乙第一一号証の二、原本の存在及び成立に争いがない乙第二五、二六号証の各一ないし三によると、義朝名義の口座に振替入金された本件四〇〇〇万円は、島袋全一及び大城清太郎に支払われることなく、昭和四八年三月八日屋宜宣忠に対し二〇〇〇万円が、同月一九日平良米敏に対し三〇〇〇万円がいずれも預手をもって支払われた(右口座には右振替入金前には一一七〇万円の残高があった)ことが認められる。

(三)  原告は、比嘉徳忠が原告名義の口座に振り込まれた営業譲渡代金を会社や自己の負債の返済にあててしまい、原告に対する四〇〇〇万円の報酬(仲介手数料)の支払いができなくなったので、昭和四八年三月二八日これを準消費貸借に切り替え、比嘉徳忠をして同日付借用金確証(甲第二号証)を差し入れさせた旨主張し、甲第二号証、前掲乙第一〇号証、証人比嘉徳忠の証言(第一、二回)、原告本人尋問の結果中には右主張に副う記載や供述部分がある。しかしながら、前記認定事実によると、原告と比嘉徳忠が右借用金確証を作成したという昭和四八年三月二八日から三日後の同月三一日には、綿久寝具から原告名義の口座に営業譲渡代金の残金六七〇〇万円が振り込まれ、しかも、右預金口座に振り込まれた営業譲渡代金は原告の保管・管理下にあったのであるから、原告としては、右六七〇〇万円の中から仲介手数料として支払われるべき四〇〇〇万円を引き落し、これを受領することがきわめて容易であったというべきである。この点について、原告本人尋問の結果中には「右六七〇〇万円は、リネンサプライ沖縄がコザ信用金庫から借りていた借入金の返済にあてるために振り込まれたもので、原告が自由に処分できないものであった」旨の供述部分があるが、前記認定のとおり、リネンサプライ沖縄のコザ信用金庫に対する債務は綿久寝具が営業譲渡代金の支払いに代えて免責的に債務引受けしたのであって、その弁済資金が綿久寝具から原告名義の口座に振り込まれること自体があり得ないことである(原告は、綿久寝具が債務引受をした右債務を返済するため同社においてコザ信用金庫から新たな借入れをし、債務返済の証拠を残すため一旦原告名義の口座に入金したのち、リネンサプライ沖縄の債務返済のため引き落されたことになっていた旨供述するが、債務返済の証拠を残すためならば右のような迂遠で不自然な方法を採る必要は毫もないところである。)ばかりでなく、右六七〇〇万円がコザ信用金庫に対するリネンサプライ沖縄の借入金返済のため引き落されたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、前掲乙第八号証、第一一号証の一、第一九号証の一、二、第二〇号証の一ないし四によると、原告自身がこれを払い戻してリネンサプライ沖縄関係の他の支払いにあてたことが認められるから、右原告本人の供述は到底措信できない。また、前掲乙第八号証及び証人比嘉徳忠の証言(第一回)によると、比嘉徳忠は、借用金確証の作成日付である昭和四八年三月二八日から三日後の同月三一日、綿久寝具振出しの額面一五〇〇万円の小切手を比嘉篤信に対する前記二〇〇〇万円の分配金の一部として同人に交付したことが認められるのであって、真実リネンサプライ沖縄の譲渡代金をもって原告に対する仲介手数料四〇〇〇万円を支払うことができなくなり、借用金確証を差し入れなければならない事態に立ち至っていたとするならば、当然比嘉徳忠及び比嘉篤信両名に対する分配金を調整して、これを減額する何らかの措置が講じられて然るべきものと考えられるのに、何らの措置も講じられておらず、きわめて不自然、不合理といわなければならない。

以上の事実に照らすと、右借用金確証がその作成日付である昭和四八年三月二八日に原告主張の趣旨のもとに作成されたことはきわめて疑わしく、右借用金確証は、仲介手数料四〇〇〇万円受領の事実を隠ぺいするために後日作成されたものと推認するのが相当である。

(四)  前掲乙第二二号証によると、原告は、昭和五八年一一月一〇日に当庁昭和五七年行(ワ)第一号事件において証人として尋問された際、本件四〇〇〇万円について、「当時原告名義の口座に四〇〇〇万円の預金があり、その自分の預金と営業譲渡代金として振り込まれる金員とを区別するために義朝名義の口座に振り替えたのであって、営業譲渡代金とは全く関係がない」旨証言していることが認められ、右証言の真偽はと かくとして、これが本件訴訟における右四〇〇〇万円の性質に関する主張及び供述と一貫しないことは明らかであり、このように原告が右四〇〇〇万円について一貫性を欠く説明をしていること自体きわめて不自然なことというべきであり、原告が本件四〇〇〇万円の真の趣旨を隠ぺいするためにいわば場当り的な説明をしているのではないかとの印象を拭い難く、ひいては本件における原告の主張に多大の疑問を挾まざるを得ない。

(五)  税務官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については証人比嘉徳忠の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる乙第二一号証及び同証人の証言によると、リネンサプライ沖縄は、昭和五三年六月八日、被告に対し、昭和四七年七月一日から昭和四八年六月三〇日までの事業年度分の法人税の修正申告書を提出し、営業譲渡益計上もれとして一億円を認めるとともに、営業譲渡の仲介手数料として原告に支払った四〇〇〇万円及び比嘉篤信に支払った二〇〇〇万円の合計額六〇〇〇万円を支払手数料として所得金額から減算していることが認められ、右事実は、原告が仲介手数料四〇〇〇万円を受領したことを支払者側から裏付けたものといえる。この点について、証人比嘉徳忠の証言(第二回)中には、「原告に対する仲介手数料の支払いができなくなり、昭和四八年三月二八日付の借用金確証を差し入れたので、右仲介手数料は実際にはまだ支払われていないが、右借用金確証上の支払債務が発生しているので、これを支払手数料として計上した。」旨の供述があるが、前掲乙第八、第九号証並びに弁論の全趣旨に照らしてにわかに措信し難い。

4  そうすると、本件四〇〇〇万円を原告がリネンサプライ沖縄の営業譲渡を斡旋仲介したことに対する報酬(仲介手数料)ないし謝礼金として支払われたものであるとして、原告の昭和四八年度の所得金額の算定上雑所得にあたるとした被告の認定に誤りはないと認められ、原告の昭和四八年分の総所得金額は、前示のとおり当事者間に争いがない事業所得一五〇万四〇〇〇円、不動産所得一九万二〇〇〇円、総合譲渡所得二二六万二二〇〇円及び雑所得四五〇万円と本件四〇〇〇万円との合計である四八四五万二〇〇〇円と認められるので、被告が原告の昭和四八年分の総所得金額を四八四五万八二〇〇円であると認めてした本件更正処分は正当であり、何らの違法もないというべきである。

5  また、原告が、リネンサプライ沖縄の営業譲渡を斡旋仲介したことに対する報酬(仲介手数料)ないし謝礼金として四四五〇万円を受領したにもかかわらず、これに対する課税を免れる目的で、前示のような譲渡代金額を一億四〇〇〇万円とする虚偽の営業譲渡契約書を作成する等の隠匿工作をしたうえ、昭和四八年分所得税の確定申告に際し、これを秘匿して確定申告書を提出したことは、叙上の認定説示に照らして明らかであり、これが国税通則法第六八条第一項にいう、課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、その隠ぺいしたところに基づいて納税申告書を提出した場合にあたることは明白であるというべきである。

したがって、被告が原告に対してした本件重加算税賦課決定は正当であり、何らの違法もないというべきである。

三  更正期間徒過の違法の有無

原告は、本件処分には国税通則法第七〇条第一項所定の更正期間経過後になされた違法がある旨主張する。

本件処分が昭和四八年分所得税の法定申告期限である昭和四八年三月一五日から三年を経過した後に行われたことは、当事者間に争いがない。しかし、前示のとおり、原告が、リネンサプライ沖縄の営業譲渡に関し、比嘉徳忠、比嘉篤信と相謀って、譲渡代金を一億四〇〇〇万円とする虚偽の営業譲渡契約書を作成する等の不正な隠匿工作をして、右営業譲渡を斡旋仲介したことに対する報酬(仲介手数料)ないし謝礼金として受領した四四五〇万円に対する課税を免れようとしたことは明らかであり、原告の右行為は、国税通則法(昭和五六年法律第五四号による改正前のもの)第七〇条第二項第四号にいう「偽りその他不正の行為により」昭和四八年分所得税の税額の一部を免れた場合にあたるというべきである。しかして、かかる場合には、同法第七〇条第二項及び第一項の規定により、更正処分等を法定申告期限から五年を経過する日まですることができるところ、本件処分が前記昭和四八年分所得税の法定申告期限から五年を経過するまでに行われたことは暦算上明らかであるから、本件処分には何ら違法な点はない。

四  以上のとおり本件処分には何らの違法も認められないから、その取消しを求める原告の本訴請求はいずれも理由がない。

よって、原告の請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 魚住庸夫 裁判官 徳嶺弦良 裁判官 小坂敏幸)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例